『日本陸軍終焉の真実』とは少々大げさなタイトルだが、序文によると原題は「越し方の山々」だったそうである。率直に言って、原題のままのほうがずっと良いように感じる。本書は戦後間もない昭和22年に著された回想録で、著者の西浦進ははしがきで「実際に仕事に携わったものの記録が、少しでも、且つ断片的にでも残ることは、必ず他日何等か祖国のお役に立つかとも思われる」と述べている。
さて本書は陸軍軍人が書いたものとしては少々独特な毛色の内容なのだが、それは著者の性格もさることながら、その経歴によるところが大きいだろう。定期異動で数年ごとに配置換えとなるのが普通だった当時の陸軍軍人としては珍しく、著者は陸大卒業後ほぼ一貫して陸軍省の軍務局軍事課に勤務した生粋の軍事官僚と言える人物であった(途中3年間の外国駐在があり、また昭和16年の東條内閣で短期間だが陸軍大臣秘書官を務めた)。
このような経歴を反映して、本書の回想は大部分が軍事課勤務時代の、どちらかというと地味で細々とした仕事に関わるものが多い。特に、軍事課の中でも予算班長というポジションにいたこともあり、予算や資材といった観点からの記述が多い。大所高所に立って自らの思想信条を述べるというようなスタンスとは無縁で、あくまで自分が現実の仕事を通じて得た知見をもとに記録する、という志向がよく表れている。敗戦直後の回想であるから、自ずから越し方を振り返っての反省が多く含まれるのだが、その内容も憶断を排し地に足のついたものという印象を受ける。
個人的に印象に残った箇所をいくつか紹介する。
海外駐在時、スペイン内戦を視察した著者は現地にドイツ軍が派遣されていることを知ったが、その帰途に通ったドイツでは武官室の人々がこの事を知らず、しかも著者の話をなかなか信じてくれなかったという。そして「今次大戦における我が国諜報についての欠陥の一つ」として「あまりに在独武官の情報のみを信じすぎ他の情報を軽んじたのではないか」と述べている。著者はまた、左右いずれにも偏しない情報入手のため中立国のスイスに武官を置くことを提言したが、なかなか実現しなかったという。
盧溝橋事件発生時、省部それぞれの中に積極論と消極論があり、意見の調整がされないまま増派(内地三個師団を含む動員)が決定された状況を振り返っている。その中で「私共下僚(少なくとも私には)は、最初は事件の本質も根本的なことも判らず、上司の決定的意見を伝えられ、気のついたときには、これは省部の完全に一致した意見ではないということが判ったのであった」という。
当時陸軍が取り組んだ諸々の謀略について「事柄を夢見て、先ず金の要求にくるような謀略でできたものは一つもなかった」と言うコメントは予算班に籍を置いていた著者らしいコメントである。そして中でもとくに「ナンセンス」だったのが土肥原賢二らによる呉佩孚工作で、これは「準禁治産者に大資金を託するようなもの」だったという。ちなみに今井武夫(汪兆銘工作や桐工作等に関与)の回想『昭和の謀略』によると汪兆銘工作の予算は100万円だったのに対し、呉佩孚工作はその10倍だったという。
「対華政策の二潮流」という項では、中国の占領地区に対する考え方として軍内でも「大乗的施策」と「搾取主義」の二つの思想があり「当然前者で進むべきであった。しかし実際問題となるとしかく簡単にいかなかった」と言う。
当時、機密費でポスターを作ったり粥を貧民に分配するようなことを現地でやっていたのを、新たに宣伝費という項目を新設して対応したが、著者はこの宣伝費を極力削減する方針を採った。その理由は「あの四百余州に対し、貧乏な我が軍事費の中から一部の窮民に粥を食わしても、それが何か特別の意志をもつ場所、時期を選ばない限り九牛の一毛であった。却って現地でいい加減に使われて害があったからである」という。これもまた金の使い方を熟慮しなければならない立場にあるがゆえの考え方だろう。
当時、部下の強硬論にむやみに乗っかる部課長がしばしばいたことを「一種の英雄主義」と呼び、これが出世の一方法でもあったという。そして「四面強硬論に孤立、正しい軟論を主張する人は割に少なかった。こういう英雄主義で上の位置についた人は、愈々戦況悲惨の極となり、或は終戦後の状況一変と供に、頼りない上官となってしまったものが多い」と述べている。著者はその典型と言える人物についても触れているが、それが誰かは本書を読んでもらいたい。
敗戦時、著者は支那派遣軍総司令部第一課高級参謀であったが、中国側の受降官として南京に乗り込んできた何応欽について「温厚な紳士という感じ、何とはなく我々も敗戦の中にも一脈の暖かさを感じられた」と述べている。そして岡村寧次(支那派遣軍総司令官)と何応欽との組み合わせが「どれほど中国地区の終戦業務を容易にしたかわからなかった」と言う。蒋介石は、岡村のメンツを重んじて自ら乗り込むのではなく
日本の陸軍士官学校で岡村の後輩にあたる何応欽を派遣したという話をどこかで読んだが、その判断は確かに良い結果をもたらしたようだ。
ずいぶん長くなってしまったが、上記は本書の内容のほんの一端である。ひとつひとつの記述はそれほど詳細というわけではないのだが、著者の記述は簡にして要を得ており、この時代に興味のある人にとっては
たいへん示唆に富むものになっている。
著者は戦後、防衛庁防衛研修所戦史室の初代室長となった。昭和22年に書かれた本書にその経緯はもちろん書かれていないが、「和平への見通し」の記述を読む限り、著者はこの戦争の歴史的な評価をする後世の歴史家に資するため、戦史編纂という仕事を選んだのではなかろうかという気がする。敗戦に至る過程について、著者は「こうするのが正しかった」とは軽々しく断定せず、当事者として、何が正しかったのかと自問している。
「私は開戦の可否についても、又開戦後の和平を求むる時機についても、将来に史家が、もっともっと深く広く掘り下げて大いに研究されんことを望むものである」
幸いなことに、巻末の解説で戸部良一氏が述べている如く、本書は現在でも多くの歴史家の研究に役立っているようだ。
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昭和戦争史の証言日本陸軍終焉の真実 文庫 – 2013/7/1
西浦 進
(著)
戦前最強・最大の組織だった日本陸軍。どのように機能し、どんな人々が動かし、終焉したのか? いまだに謎の部分が多い戦時体制下の陸軍中央内部の動きを、人物模様を交えてエリート将校が明かす昭和陸軍裏面史。
意思決定の失敗を組織論に基づいて明らかにした『失敗の本質』の興味深い記述が満載。東条英機、山下奉文など昭和陸軍の大立て者たちの素顔を活写。
意思決定の失敗を組織論に基づいて明らかにした『失敗の本質』の興味深い記述が満載。東条英機、山下奉文など昭和陸軍の大立て者たちの素顔を活写。
- 本の長さ285ページ
- 言語日本語
- 出版社日経BPマーケティング(日本経済新聞出版
- 発売日2013/7/1
- 寸法10.6 x 1.3 x 15 cm
- ISBN-104532196906
- ISBN-13978-4532196905
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商品の説明
著者について
大正11年陸軍士官学校卒業、同年陸軍少尉、昭和2年陸軍大学校入校、昭和5年陸軍大学校卒業、昭和12年陸軍省軍務局軍事課予算班長、昭和14年陸軍省軍務局軍事課高級課員、昭和16年陸軍大佐、昭和16年陸軍大臣秘書官兼陸軍省副官、昭和17年陸軍省軍務局軍事課長、昭和19年支那派遣軍参謀、昭和21年中国より復員、予備役編入、昭和30年防衛庁防衛研修所戦史室長。昭和45年死去。
※本データは、小社での最新刊発行当時に掲載されていたものです。
※本データは、小社での最新刊発行当時に掲載されていたものです。
登録情報
- 出版社 : 日経BPマーケティング(日本経済新聞出版; New版 (2013/7/1)
- 発売日 : 2013/7/1
- 言語 : 日本語
- 文庫 : 285ページ
- ISBN-10 : 4532196906
- ISBN-13 : 978-4532196905
- 寸法 : 10.6 x 1.3 x 15 cm
- Amazon 売れ筋ランキング: - 405,804位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- - 95,201位文庫
- カスタマーレビュー:
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トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
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2018年10月8日に日本でレビュー済み
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筆者は陸軍省軍務局で約10年財務・会計を担当しており、かなりの能吏であり軍人でありながらエリート官僚的人物である。また、東条英機の秘書を半年やり、佐藤賢了局長の下、軍事課長を昭和17年4月から担なっている。本書はその間に経験したことどもを短文で連ねた回想本であり、読むには「へー」と思うようなことも多く書かれている。
しかし、彼は戦争推進派であり、特に東条英機や武藤章、佐藤賢了などを高く評価している。また、解説をしている戸部良一氏は、「西浦は、大東亜戦争を”売られた戦争”であったという。しかし、売られたからといって、買う必要はなかったはずである。それを買ってしまったのは、無理を承知でヤル、ヤラネバナラヌ、という論理がまかり通てしまったからではないだろうか」と書いている。私も、全くそう思う。
ほろ酔い加減のプロボクサーに絡まれたからといって、絡む必要はさらさらない。まして、自分が酩酊してけんかを吹っかけていくのは愚の骨頂である。これが出来なかった故、メタメタに打ちのめされたのである。そう思う。
そして、無条件降伏なんかできないと最後まで戦う道しかないと書く著者は、敗戦を書いていない。
しかし、彼は戦争推進派であり、特に東条英機や武藤章、佐藤賢了などを高く評価している。また、解説をしている戸部良一氏は、「西浦は、大東亜戦争を”売られた戦争”であったという。しかし、売られたからといって、買う必要はなかったはずである。それを買ってしまったのは、無理を承知でヤル、ヤラネバナラヌ、という論理がまかり通てしまったからではないだろうか」と書いている。私も、全くそう思う。
ほろ酔い加減のプロボクサーに絡まれたからといって、絡む必要はさらさらない。まして、自分が酩酊してけんかを吹っかけていくのは愚の骨頂である。これが出来なかった故、メタメタに打ちのめされたのである。そう思う。
そして、無条件降伏なんかできないと最後まで戦う道しかないと書く著者は、敗戦を書いていない。
2020年2月24日に日本でレビュー済み
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以前から、帝国陸軍は陸大卒のキャリアと、そうでないノンキャリの組織であると思っていましたが、再確認ができました。
この本に出てくるキャリア官僚である陸大卒の陸軍省、参謀本部内の人びとが、昭和一桁から敗戦時まで、出先への転出と中央官衙へ転勤の繰り返しはありますが、ほぼ一定の人びとが変化なく戦争指導していたこと、戦争に対するスタンス(特に日中戦争時)の相違のある方々がいることーー反対していた人々が、226事件への関連もあり排除されていたことーーも確認できました。
日本のキャリアを中心とした官僚機構の欠点が集約されて、亡国に近いところまで至ったことは、もっと反省しても良い点と思います。
戦後の官僚機構も同じではないか? 武漢肺炎への対応も、日本の官僚機構、厚労省は何をしたいのでしょうか? これは言い過ぎかな?
追伸ですが、工学系の技術者であった父は、短期間しか戦場には出ていませんが、その父が90歳代で亡くなるまで繰り返し言っていたことは、戦争は負けてしまえば戦勝側に何をされても文句は言えない。(以下の考えは誰か他の方の考えに父が感化されたための考えかも知れませんが、)戦争の開始は十分に考え、引き分けでも良いから、どういった事態を終了点にするかを考えないといけないし、ましてやイチかバチかの戦争なんて論外。上記のような思考のない戦争開始が、最終的に広島(父の出生地です)のような不幸を呼ぶのだ。といったものがありました。西浦進さんのこの著作を読むと、父の言った言葉の意味がよく分かります。
2020.05
武漢肺炎に対する政府の対応を見るにつけ、外出制限の解除を何に求めるかを、目標も定めずに対応されているように見えることは残念です。この点太平洋戦争時の日本と何ら変わらないのではないかと愚考しています。また、金銭的な対策を十分とらないことの原因が財務省にあるとの論考が多くネットで流れ、倒閣まで考えているのではないかとの議論が少数ではあってもネットに流れていることは由々しいことではないかと思います。
言い方は悪いですが、昭和初期の倒閣まで志向した陸軍省と、現在の財務省は変わりなく、昔陸軍、今財務官僚と言われても仕方ないのではないかと愚考しています。
この本に出てくるキャリア官僚である陸大卒の陸軍省、参謀本部内の人びとが、昭和一桁から敗戦時まで、出先への転出と中央官衙へ転勤の繰り返しはありますが、ほぼ一定の人びとが変化なく戦争指導していたこと、戦争に対するスタンス(特に日中戦争時)の相違のある方々がいることーー反対していた人々が、226事件への関連もあり排除されていたことーーも確認できました。
日本のキャリアを中心とした官僚機構の欠点が集約されて、亡国に近いところまで至ったことは、もっと反省しても良い点と思います。
戦後の官僚機構も同じではないか? 武漢肺炎への対応も、日本の官僚機構、厚労省は何をしたいのでしょうか? これは言い過ぎかな?
追伸ですが、工学系の技術者であった父は、短期間しか戦場には出ていませんが、その父が90歳代で亡くなるまで繰り返し言っていたことは、戦争は負けてしまえば戦勝側に何をされても文句は言えない。(以下の考えは誰か他の方の考えに父が感化されたための考えかも知れませんが、)戦争の開始は十分に考え、引き分けでも良いから、どういった事態を終了点にするかを考えないといけないし、ましてやイチかバチかの戦争なんて論外。上記のような思考のない戦争開始が、最終的に広島(父の出生地です)のような不幸を呼ぶのだ。といったものがありました。西浦進さんのこの著作を読むと、父の言った言葉の意味がよく分かります。
2020.05
武漢肺炎に対する政府の対応を見るにつけ、外出制限の解除を何に求めるかを、目標も定めずに対応されているように見えることは残念です。この点太平洋戦争時の日本と何ら変わらないのではないかと愚考しています。また、金銭的な対策を十分とらないことの原因が財務省にあるとの論考が多くネットで流れ、倒閣まで考えているのではないかとの議論が少数ではあってもネットに流れていることは由々しいことではないかと思います。
言い方は悪いですが、昭和初期の倒閣まで志向した陸軍省と、現在の財務省は変わりなく、昔陸軍、今財務官僚と言われても仕方ないのではないかと愚考しています。
2020年6月20日に日本でレビュー済み
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戦後、旧軍部は戦略の計画実行が不適切で敗戦の失態を招き、国民に物心両面の多大な犠牲を強いた悪人の烙印を押されて来た。また「旧軍は「行け行けドンドン」の調子に乗り、大陸から南方、太平洋へと戦場を拡げて来た張本人であった」という非難の声が絶える事がない。然るに明治憲法下の旧軍部でも政治、外交、経済、社会、世論を無視して軍備を強化し、武力戦に走ってはいない。いみじくも軍事費の要求と取得、運用に携わった著者は、特に国家行政との兼ね合い、更には政官界の意向も十分に配慮せざるを得なかった。このような軍制上の悩みを著者である主務者は具体的に触れている。
2015年1月27日に日本でレビュー済み
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巷間言われていること 意識的に操作されている情報も
現場へ行き 実際の行為者(その上の人物で無く)に聞けば
事実が解る そこからの出発 必ず一次資料に当たれ の見本
現場へ行き 実際の行為者(その上の人物で無く)に聞けば
事実が解る そこからの出発 必ず一次資料に当たれ の見本
2014年5月12日に日本でレビュー済み
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少~し自分だけ蚊帳の外に置いて、良い子ちゃん的批評をしている様な…と見えてしまったり。
2019年2月22日に日本でレビュー済み
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西浦進氏の著作は同じ内容がタイトルを変えて複数出されているので注意が必要です。
因みに小生は別タイトル同内容3冊購入してしまいました。
因みに小生は別タイトル同内容3冊購入してしまいました。
2014年12月12日に日本でレビュー済み
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明治と軍隊は私が最も興味を抱いているものです。近代の中で変質していく日本帝国陸軍の側面を知る事ができました。軍隊の教育機関を捕捉しかねていましたが朧気ながら従来と異なるイメージを持つ事ができました。多くの戦史を読みましたが、再読の必要がある戦史があります。大変価値ある出版物と評価いたします。